LEGACY LINE 第1弾
独立行政法人日本スポーツ振興センター
山内 壮起(スポーツ科学部・2021年卒)
高校時代に選手としての限界を感じトレーナーとして入部した後、3年時にインカレ準優勝投手へと躍進した。「想像以上の経験ができた」と振り返る背景には、自身の可能性を見出すきっかけを与える早稲田大学ソフトボール部独自の組織形態や大きな価値観の変化があった。「大学時の経験を還元したい」と語り、新たな道への決意をする山内さんにお話を伺った。
大学入学時、名の知れた選手が集まるチームでプレイヤーとしてやっていく自信は無かった。しかし、些細なきっかけで再びピッチャーに。
――競技歴を教えてください。
小学3年次からソフトボールをはじめ、中学では野球、高校ではまたソフトボール部に戻りました。
――早稲田大学ソフトボール部入部のきっかけは?
トレーナーをやろうとして入部しましたが、推薦やピッチャーの巡り合わせでピッチャーをやることになり、多くの助けを貰いながら、インカレ準優勝という経験をさせていただき充実した4年間でした。
――入部当初はピッチャーとしてやるつもりはなかったのでしょうか?
高校時代ソフトボール部所属ではあったのですが、部員も少なく半分が初心者のチームでした。大学入学後、高校時代に対戦して惨敗した千葉敬愛高校の4番バッターがソフトボール部に推薦で入学していたことが分かり、そんな選手がいるようなチームで自分がプレーできるとは思いませんでした。
――それでもトレーナーとして入部を決めた経緯は?
トレーナーの勉強をしたいという興味があり、やるのであれば組織として日本一を目指している組織に裏方だとしても身を置きたいという思いがありました。
――トレーナーとして入部後、ピッチャーを始めたきっかけは?
入部時の4年生に二人のピッチャー、3年生にスポーツ推薦で入部した杖子さん(杖子量哉/スポーツ科学部2019卒=岡山・新見)がいて、一つ上の学年と同期には推薦として入ってきたピッチャーがいませんでした。4年生が引退するとピッチャーが杖子さんだけになり、球が遅くてもストライクが入る自分もやることになりました。それより前に、夏休みにバッティングピッチャーとして投げているのを吉村先生に目撃され、ピッチャーとしての道が始まりました。
ピッチャーとしての挫折を経て、独自の投球スタイルへ。悔しさをバネに全国区のピッチャーに。
――山内さんはボールを動かし、変化量で打者を打ち取るイメージですが、そのような投球スタイルが生まれた背景は?
2年生の秋リーグで中央大学に初回8点取られたことです。それまでは杖子さんがいて、コールドの点差になったら登板していました。その時までは、「とにかく球を速くしよう、110キロ投げたい」と思っていたのですが、中央大学戦で初回8失点して負けたことで危機感を覚えました。
――そこから球速を捨てる決意をできたのは?
自身の長所はストライクが入ることと、器用に変化球が投げられることだと思いました。また、男子ソフトボール界はいかに120キロを投げるかという状況であり、強豪校は遅い球のほうが打てないのではないかと思いました。
――どのように力を積み上げていったのか?
最初は同期との競争であったりしたのですが、杖子さんが引退した後のピッチャーとして、相手チームに「誰やねんあいつ」のようなことを言われることがありまして、その悔しさを原動力にして頑張りました。他にも先輩方のためにという意識も大きかったです。

その後も多くの苦労や努力を重ねインカレ準優勝ピッチャーにまで上り詰めた。山内さんは早稲田大学男子ソフトボールならではの魅力と経験に基づいた自身の価値観の変化が、社会人としての現在に繋がっていると語る。
「人を選ばない組織」だからこそ知れた自身の可能性と自身のこれからの展望。
――山内さんにとって早稲田大学男子ソフトボール部の魅力は何ですか?
自分みたいな人がインカレ準優勝を達成できる組織であることが魅力だと思います。野球経験者であっても、初心者であってもチャンスが広く、誰にでも無限の可能性があると思います。いろいろな人に門戸が開かれ、何にでもチャレンジすることができます。
――山内さんは部活において多くのチャレンジをしてきたが、得られたものとは?
おそらく想像している以上の経験ができることです。まさか自分がインカレで投げているなんて、試合に出ているなんて思いもしていませんでした。
――この組織において、自分の想像を超えるようなことがなぜ起きると思いますか?
根本には吉村正総監督の「学生の力は無限大」という言葉があると思います。また普段の練習は学生主体であり、レギュラーと補欠関係なく皆同じ環境にあるので初心者であっても同様に成長できる環境にあります。つまり人を選ばない組織であり、どのような人でも成長できる仕組みやノウハウがあるのかなと感じます。
――「人を選ばない組織」だからこそ、自身の想像を超える経験ができるのですね。ではこのような組織で得た経験は現在社会人としてどのように活きていますか?
入部当初まったく想像もしていなかったインカレ準優勝をピッチャーとして達成できたことで、自分の可能性を自分で潰さなくなりました。
――転職をなさるとお聞きしたのですが、その経験が関係していますか?
私自身転職するのですが、転職希望先の門戸は広くなく、採用試験のハードルも高い状況でした。以前の私なら自然と諦めてしまっていたかもしれませんが、時間をかけて努力すればどうにかなると思えました。この部活で成功体験を積んだことで踏み出せたのだと思います。
――トレーナー志望の入部時からインカレ準優勝ピッチャーへの成功体験が活きているのですね。転職ということでこれから新たに可能性を掴みに行くわけですが、転職して実現したいことや夢はありますか?
転職先は独立行政法人日本スポーツ振興センターというところなのですが、もともと興味を持ったのがアスリートの育成発掘といった点です。これには自分のソフトボール人生が関係しています。大学で吉村先生や杖子さんなどの方々に指導していただいてから、ライズなどを投げられるようになったこともあり、高校のころ教わっていたらどうなっていたのかという思いもありました。人には向き不向きがあってそれをより早く発見できれば未来の子供たちの可能性にもつながりますし、成功体験を作ってあげたいです。またこの取り組みは男子ソフトボールなどのマイナースポーツの発展のきっかけにもなり得ると考えています。幅広い分野を経験しながら、将来的にそういった事業に携われたらなと思っています。
――自身の能力開発の体験を基に、未来の子供たちの可能性を探り、育てていくということですね。最後の一年はコロナでほとんど活動できなかったと聞いたが。
まったく練習することができなくなり、モチベーションを維持するのが難しかったですね。前年準優勝の自信もありましたし、球も速くなりましたし、自分のなかでは初めて試合が楽しみという感じでした。その矢先だったので厳しかったですね。
――インカレ代替大会もあったものの、最後は完全燃焼で終われたのか?
やはり不完全燃焼でしたね。勝負したかったですね。4年生としての経験をしたかったですね。
早稲田大学男子ソフトボール部だからこそ見つけることができた可能性。選手としての可能性を諦めかけていた山内さんは、入部後の小さなチャレンジの積み重ねでインカレ準優勝にまで上り詰めた。そんな山内さんだからこそ、経歴や技術に関わらず多くの人に大学ソフトボールに挑戦してほしいと強く語った。
最後に
――山内さんにとっての早稲田大学ソフトボール部とは?
ずっと誇れるものです。これからも自信をもって「早稲田ソフト部出身」と言えるような自分の中で大切なものだと思いますし、人生の中で一番濃い4年間を過ごさせてもらいました。
――今後の目標は?
転職先での活躍ですね。やはり素晴らしい指導者やOBの方々がたくさんいらっしゃるので、早稲田に顔を出した時には、自信をもって自分のやっていることを言えるようになりたいです。
――現役部員や入部希望者に向けてよろしくお願いします。
OBの人たちは現役の結果を気にしていますし、応援しています。上手くいかないこともあると思いますが、大人たちの力も借りながら自分たちの努力を信じて頑張ってほしいですね。
入部希望者の方々は、高いレベルや環境に身を置ける場所であると思うので、初心者でも経験者でもぜひチャレンジしてほしいです。


